本来は余分といい、先祖の善行が子孫に幸福を及ぼすことをいいます。

足るを知るとは、自分の内側にどれだけ素晴らしいものが備わっているのかを理解して、そのことに感謝することを指します。

余計とは、足るを知らないことです。

自分にないものばかりを見つめ、クヨクヨ悔やみ、いつまでも考えすぎることです。

十分に足りていても、それ以上にすることや、それ以上に考えることです。

あったら困るもの、ないほうがいいものです。

こころの整理がつかないと、こころの情報が溢れ出して、余ってしまうのです。

余った情報が、類似したものだけならば確信になりますが、相反するもので溢れたとき、私たちは悩んでしまい、迷います。迷うということは、疑う心も生まれます。

疑うことで、見る視点が変わって、変わってしまった結果に後悔してしまうのです。

こころの整理とは、なんでしょう?

なぜ、相反することも一緒に考えてしまうのでしょう?

後悔してしまわないためには、何をすればいいのでしょう?

★こころの整理とは、次使いやすくすることです。目的を明確にすれば整理しやすくなります。

★相反することも一緒に考えるのは、「失敗したくない」「恥をかきたくない」「楽をしたい」からです。

★後悔するのは、自分がしたいことを考えないからです。したいことがあっても、「もし誰かに反対されたらどうしよう」「仕事はこうあるべきだ」「私はこうしないと幸福になれない」と無難な自分を選び、本当の自分を選ばないのです。自分がしたくないことを、最初に選んでいるから後悔するのです。

どうなるだろうか?と結果を求めると、答えがあれこれ尽きることがありません。

どうしようか?と方法を求めると、答えがすぐ出て、実行できます。

大切なのは、だれでも間違いをするし、悪い面も持ち合わせているということです。

本当に自分がしたいことは、誰かのためにすることでも、誰かのために生きることでもありません。ですから、「しない」という選択もあります。

あなたが取り組もうとしていることは「義務感」からが多いですか?

それとも「喜び」からが多いですか?

まずは、自分に素直になることが大切です。

もちろん、素直と我が儘は異なります。

素直とは、自分を愛するように相手の事も感じることです。

我が儘とは、人の目を気にして、自分だけを感じることです。

こころをクリアにして、余計なものを除いていくと、自分がしたいことが見えてきます。

それを、どうするかだけです。その方法に決まりはありませんし、正解もありません。

こころの整理と同じように、お部屋の掃除が嫌いな人、面倒くさいと思う人は、自分の生活に愛着や愛情がありません。つまり、自分を愛せない人です。

寝ている間、呼吸をすることで、からだにエネルギーを入れて、整えていきますが、きれいな空氣で寝たくないですか?それともよどんだ空気で寝たいですか?

掃除をしないと空氣がよどみ、埃がたまります。

掃除をすると集中するので、前頭葉が鍛えられます。前頭葉は平常心を司ります。

つまり、掃除をすると辛抱強いこころを手に入れられます。

そして、掃除をしながら恨んだり、憎んだりという気持ちは湧いてきません。

掃除の後の爽快感は、裏を返せば、それだけストレスが溜まっていて、そのストレスに気づいていないということです。

整理整頓には、脳だけでなく、こころを「きれいにする作用」があります。

過酷な状況に耐えるために、刺激という情報が必要になって、過剰暴走が起きますし、安楽な状態に慣れすぎると刺激という情報が微量であっても、対応できなくなるのです。

ですから、無理も危険ですし、楽も危険なのです。

情報が極端に増えすぎるとエネルギーも余ってしまい、コントロールできない分、乱雑になって現状を維持できなくなりますから、自分自身が本来持っている必要最低限のエネルギーに整理する必要があります。

それは、食事制限や食事を変えることかもしれないし、運動することかもしれません。

音楽を聴いたり、美術鑑賞や読書、または掃除をすることかもしれないのです。

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