Return to site

見るということ

見えないものを可視化するという意識

私たちは、何かをしっかり確認するとき「きちっと見て確認する」といいますが、実際は見ていません。

見ているのは脳なのです。

目の水晶に光が差し、網膜に当たった光を電気信号で脳が受け取り、その信号を記憶から解析してイメージにします。ですのでイメージはその時その時の感覚や色で変化します。

可視光線は見れますが、X線や赤外線は脳が認識できないので、見ることができません。

また、人間の能力には、目に見えないものに対する不可思議な特性があります。

なぜ、見ただけで相手と氣が合う合わないを感じるのでしょう?

なぜ、直感という感覚が確信をもたらすことを知っているのでしょう?

なぜ、「虫の知らせ」のような氣配を感じるのでしょう?

なぜ、心地よく感じる場所とそうでない場所を察するのでしょう?

私たちは、自分が望む愛情や健康、経済的なもの…これらを欲します。

でも願うだけ祈るだけでは、実現しないことのほうが多いのではないでしょうか?

こうしたいと言葉で「表明する」とき、またはこうしようと行動に「移す」とき、「しない」から「する」へ変化します。「する」が「変わる」をもたらすのはどうしてでしょうか?

自分が望む「結果」を手にいれるから、願いが叶うのではありません。

願いが叶うためには、人間の細胞もエネルギーも空洞では形を成しませんし、機能しません。途切れることなく続いていくことが大切です。

満ちていなければいけないのです。

そのためにも自分が望む愛情や健康、経済的なもの…これら「結果」を手にいれるために「すべき体験」を「する」ことが大切になります。自分の願いを全細胞に伝えるということです。その願いが形となり空間に満ちて途切れることなく伝わっていくことで協力してくれる誰かが現われます。

協力してくれる相手とは、その願う気持ちに共鳴してくれる人のことです。

応援する人が、賛同する人が、共鳴の場が生まれるのが自然の摂理です。

癒しの場である富士山や神社にて心が顕れるのは、その空間が絶えず「目的と体験」という形が途切れることなく満ち溢れていて、エネルギーの「質(エントロピー)」が高まっているからです。

「する」という行為が、何も変化しなかった空間に「共に響きあう場」を生み出し、その空間を変えていき、その結果「変化する」に繋がっていくのです。

こうした自然の摂理に沿うには、「橋を造らずに、川の向こう岸に町ができないように」他人にはあって自分にないものをただ欲して手に入れただけでは意味がないのです。もし仮に「あの人のように生きたい」とか「あの人のような地位や権力が欲しい」と他人を羨むのであれば、その人がそれを得るために実行した体験を、あなたのやり方で体験することが重要なのです。そしてその人が体験したこと自体あなたが欲するものだったのか?ということがとても大切です

実はこうした現象は、古典物理学と量子物理学で表現できます。

古典物理学の概念は「自然とは、人間とは関係なしに起きる法則である」というものです。

つまり、地球は太陽の周りを回っていると意識してわかっていても、今いる空間は平らで太陽が地球の周りを回っているほうが真実味があるから、そうしたほうが意識しやすいという考えです。

ですから、自分が望む望まないに関わらず、勝手に現実があるのだから、自分ではどうすることも出来ないと思いながらただ願うだけ、ただ祈るだけの考え方です。

逆に量子物理学の概念は「自然は全て素粒子という目に見えない物質で出来ていて、それは、観測するか否かでぼんやりした波の状態とはっきりした粒の状態の両方に変化するという二重性※がある」というものです。言い換えると「自然とは、人間との関係で起きる法則である」というものです。

つまり、観測者の意識が介在すると物質化し、観測者の意識が介在しないと非物質化の状態になっていることが解っています。ですから、自分がハッキリとイメージすると実現し、自分がなんとなくイメージしたり、それをイメージできなければ実現しないのです。

自分の意識が変わると波のように不確かだったこの世に既にあったものが、より具体的になり、自分が見たいものが現実となるという考え方です。(見たいものだけが見えるし、その結果それが現実となるということ)このとき脳が制限する心理的盲点をスコトーマといいます。

スコトーマ

私たちは、見ているだけ聞いているだけでなく、見るということ聞くということを感じているのです。つまり身体が望む、自らが楽しいと思えることを感じなければいけません

私たちが願いを実現するために大切なのは、「余裕」と「やる気」です。

余裕とは余白のことです。余白があることで、すべてのものは形を成します。

何度も何度も塗りつぶす必要はないのです。

何事も完璧にする必要はないのです。

やる気とは希望です。自分の望まないことに気持ちは沸きません。

「やる気がない」とは興味がないのです。望んでいないのです。

ですから、やりたくないことはする必要はありません。

自分が望むこと、やりたいことをじっくり意識して、それを余裕をもって、繰り返し「自らが体験する」ことが大切です。

All Posts
×

Almost done…

We just sent you an email. Please click the link in the email to confirm your subscription!

OKSubscriptions powered by Strikingly